早稲田大学創始者、大隈重信侯が演説をしたとき、その語尾に必らず"・・・・・あるんである"といったが、それをもじってRDRというクラブ名が誕生した。
RDR倶楽部の名称を使うようになったのは創部(大正12/1923年)の頃で、この倶楽部には早大バスケットボール部の全員と、他に部員以外のバスケットボールに親しむ人々の入会も認められていた。対外的な試合に早大の二軍的なチーム編成で出場する場合にはRDRの名称が使用された。
当時の早大は、スポーツ王国として日本に君臨しており、早大チームという名前は学校当局も選手も権威あるかつ誇り高いものであるという意識が強かった。 RDR倶楽部は当初規約などは無かったが、会員として認められるためには、スポーツマンとしての品格を失わないということが暗黙のうちに定められていた。
現在は、早稲田大学バスケットボール部(男子部、女子部)出身のOB、OG、部長、元部長を会員に構成され、総数約500名(男子370名、女子130名)で会員相互の親睦をはかり母校バスケットボール部の発展に寄与することを目的に結束して活動している。
平成22年より、早稲田大学RDR倶楽部は「早稲田大学バスケットボール部稲門会(RDR倶楽部)」と名称を変更した。RDR倶楽部の名称は、会の略称として引き続きその名を残している。